院長プロフィール
ニックネーム | ねぶ ねぶさん |
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趣味 | ジムでのトレーニング |
性格 | 出来る限り穏やかでありたいと思う |
尊敬する人 | 小波津祐一先生(小波津式神経筋無痛療法創始者) |
好きな言葉 | ありがとう 感謝します |
座右の銘 | 色即是空(空無であるということ) |
好きな音楽 | 最近はあいみょんの曲がお気に入り |
好きな食べ処 | 純連の味噌ラーメン |
学位・資格
日本カイロプラクティック登録機構登録証
カイロプラクティックの専門大学において5年間4200時間にも及ぶ解剖学・生理学・病理学・診断学・神経学など医学部と同等レベルの基礎医学教育を修了し豪州のカイロ専門学位を取得しております。
RMIT(ロイヤルメルボルン工科)大学健康科学部カイロプラクティック学科 日本校 卒業
(現 東京カレッジ・オブ・カイロプラクティック)
(2000~2005年)
世界カイロプラクティック教育審議会(CCE)認可国際承認
(アクレディテーション取得)教育プログラム5年制
カイロプラクティック理学士/B.C.Sc. 取得
応用理学士/B.App.Sc. 取得
日本カイロプラクティック登録機構(JCR) 認定Aカイロプラクター
小波津式神経筋無痛療法マスタープロジェクト修了
私がカイロプラクターになった経緯とこれからの抱負
私のカイロプラクティックとの出会いは、ちょうどJリーグが開幕した頃で、それまでは、カイロプラクティックという文字を見たり、または聞いたりしたりした事は全くありませんでした。
当時慢性的に腰痛を抱えていた私が、職場の先輩に勧められて行った治療院にカイロプラクティックの文字があったのが始めてのカイロプラクティックとの出会いになりました。
慢性的な腰痛が治ればと思い、かなりの回数通って腰痛を克服したことを昨日のように憶えています。
その後、東京に転勤になりました。
職場の勤務形態が24時間勤務でしたので明け休みと休みで月に20日ぐらいは自由になる時間がありました。その時間を利用して秋田で施術を受けた経験から、仕事をしながら人の体の施術を教えてくれる所は無いものかと探していました。
何かあったらと秋田の先生に紹介してもらった所に、腰の痛みが再発したので行くことに。
施術を終え帰り際、受付の横にカイロプラクティックの入学のパンフレットがありました。
帰って読んだところ、5年間で全日制でしたので仕事をしながらではできないと思いましたが、入学説明会の日がちょうど休みの日と重なっていていたので軽い気持で参加しました。
その説明会で、カイロプラクティックのすばらしさを知りましたが、会社との両立はやはりできないと思いあきらめたのですが、どうしてもそのことが頭からはなれず、試験を受けてだめだったら諦めがつくし、たとえ合格したとしても、それから考えればいいと思い試験を受けることに。
数週間後、合格の通知が。
その後悩みましたが、決断するまではそんなに時間は費やすことはありませんでした。
今思えば不思議とそれまでの安定した仕事を手放すことに、何の躊躇もなく決断できたと思います。
慌ただしく退社や入学手続きを済ませカイロプラクティック人生を始めることに。
大学時代の5年間は今までで一番勉強したように思います。
自分とは年の差もある人達と同じ目的のため切磋琢磨しとても大変でしたが、卒業してみると楽しかったこともあり自分の人生の中でかなり有意義な時間になったと思います。
卒業後、本物のカイロプラクティックを秋田の地で広めたいという思いがあり、あえて東京で勤務せず、帰って来て開業し現在に至っています。
まだまだ、秋田では国際基準のカイロプラクターが少ないのが現状ですが、本物のカイロプラクティックが皆様のご支持をいただけるように尽力させていただきます。
自分も開業当時、ストレスからか耳鳴りを発症して精神的に病んでいました。
色々な治療法をためしましたが、なかなか良くならなかったのでとても辛い時期を過ごしました。
いろんな治療をした相乗効果からか発症から1年余りで、100パーセント気にならなくなり現在に至っています。
耳鳴りという辛い症状の時期があったおかげで、人の苦しみを自分の肌で感じることができ、今になって思えば貴重な経験だったと思っています。
この経験を生かし目の前で困っている患者さんの健康回復のために全力で向き合うこと。
それが社会貢献の一端になればと考えています。